
雅子さまも結婚当初は、アトピー性皮膚炎に悩まされていたようです。
雅子さまは、正式には皇太子徳仁親王紀妃雅子であり、日本国第125代天皇明仁様のご子息である皇太子徳仁親王の妃(妻)になります。
そんな雅子さまも結婚当初は、アトピー性皮膚炎に悩まされていたようです。
雅子さまは1963年(昭和38年)に、外務省職員である父・小和田恆さんと優美子夫妻の長女として、東京都港区の虎の門病院にて生誕しました。
外務省職員であった父親の仕事の関係により、雅子さまは幼少期を、スイス連邦、ソビエト連邦で過ごした時期もあったそうです。
ただ、雅子さまは昭和46年には日本へ戻っており、昭和47年4月から田園調布雙葉小学校に編入した後、同校を卒業しています。
その後、同学校を高校まで進んだ雅子さまは、その途中でアメリカのボストンに移住しアメリカのベルモントハイスクールに入学します。
その後、現在のハーバード大学であるラドクリフ大学に入学し、無事に同校を卒業しています。
雅子さまは1986年に帰国し、同年の4月に東京大学法学部3年に外部学士入学します。
その後、外交官を志すようになり、1986年10月に外務公務員採用I種試験(外交官試験)に合格して、外務省入省が決まりましたが、この際、女性初のキャリア官僚、スーパールーキーと話題になります。
1988年からは、外務省の研修留学としてオックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学し、この頃からお妃候補と報道されたため、日本からのマスコミがオックスフォード大学にまで来る騒ぎとなったようです。
雅子さまは1986年、スペインのエレナ王女が来日した際の歓迎レセプションに出席した時に徳仁親王と知り合いました。
同年12月には、東宮御所での内輪の茶会に一家で招かれ、その後、1987年4月上旬、日英協会のパーティーにおいて徳仁親王と再会します。
また、1992年8月16日には、雅子さまは皇太子徳仁親王と5年ぶりに再会。
同年11月中旬には、結婚の悩みから体調不良となり、外務省を10日ほど欠勤してしまいます。
しかし雅子さまは、同年12月12日に皇太子徳仁親王からの求婚をお受けしています。
1993年1月19日、雅子さまは徳仁親王妃に内定。同年2月をもって外務省を退職し、同年4月12日の納采の儀を経て、同年6月9日に結婚の儀が行なわれ、この「結婚の儀」のテレビ中継の最高視聴率は77.9%にもなったそうです。
そして、同年6月17日に皇太子妃雅子の名が正式に皇統譜に登録されました。
雅子さまは、1999年の流産を経て、2001年4月16日に懐妊の可能性が発表されました。
その後、同年12月1日に第一女子・敬宮愛子内親王が誕生しました。
結婚から8年余り経過し、世継ぎ問題というプレッシャーがかかる中での第一子誕生でした。
しかし、その後、2003年12月3日に帯状疱疹を発症し、公務を休み療養。
また、2004年6月には適応障害の診断を受け、病気療養に入っています。
2006年8月17日~31日まで、病気療養のため、オランダ王国へ皇太子徳仁親王と当時4歳の敬宮愛子内親王と共に旅行し静養しつつ、オランダをはじめベルギーやルクセンブルクの王族と交流しています。
そんな雅子さまは、徳仁親王とご結婚された当初、アトピー性皮膚炎に悩まされていたようです。
その症状等について、あまり詳細は公表されていないのですが、この頃、首元にいつもスカーフが巻かれていたため、アトピー性皮膚炎の症状を隠していたのではといわれています。
前述の通り、雅子さまは出産後、帯状疱疹や適応障害になってしまったりもしていますので、皇室でのストレスによってアトピー性皮膚炎の症状が悪化したのではと考えられます。
雅子さまは、最近では少しずつ公務に復帰したりもしているようであり、アトピー性皮膚炎の症状も見られないので、既に完治したのかもしれません。
このまま、さらに元気な姿を見せていただければと思います。
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