3歳でアトピーと診断されて20代の今思う事。【体験ブログ】

私は3歳のころにアトピー性皮膚炎と診断されました。
最初の頃からそれほど症状が酷いわけではなく、手指、足の裏、両肘の内側、両膝の内側にかゆみや湿疹、ひび割れ、からだ全体のかゆみなどがあり、内服薬、外用薬(時々ステロイド薬)などを使用して、症状を抑えていました。
しかし、幼かった私は、すぐに?いてしまったり、くすりをつけた手を洗ってしまったり、当時は両親も言うことを聞かなくて困ったそうです。
保育園に通うようになった私は、自分の状況を少しずつ理解してきたようで、薬を飲んだり、塗ったりすることに抵抗はなかったそうです。
保育園でも、園の先生にお昼寝前に薬を塗ってもらっていました。
手指には薬を塗った後、綿の手袋をして薬が他の園児や、布団につかぬようにしてくれたり、また、手袋をすることで保湿効果が出るように両親が工夫してくれました。
小学生にあがると、朝晩の塗り薬と内服薬で症状が落ち着いていましたが、やはり外で土などを使った遊びや、バスケットボールやドッチボールなどの球技を行うと、手指や足指が乾燥して割れてしまったため、よく同級生に「バイキン」「触るな」「どろきん」といじめられてしまったことが多くありました。
その時思ったのは「なんで自分だけこうなんだろう」「つるつるのきれいな手になりたい」と願った日もあります。
しかし、いじめられている私を幼なじみがいつも励ましてくれたり、両親の献身的な支えもあり、症状は落ち着いていました。
ソフトボール部に入部し、毎日手指や足指がひび割れたりしていました。
中学にあがり、アトピー性皮膚炎が酷くなることは分かっていましたが、ソフトボール部に入部し、毎日手指や足指がひび割れたりしていました。
パックリ裂けてしまっていたので、競技をすることが出来なくなってしまったこともありました。
このころは確か、皮膚が硬化してしまっていると先生から言われたような気がします。
ここまで症状が出てしまっていたのに本当であったら、ソフトボール部への入部は避けるべきでした。
しかしこの病気でしたい事をあきらめたくなかったので、入部を決意しましたが、この決意に後悔は一度もありません。
好きなことをさせてくれた両親に感謝したいです。
部活を引退してからは、症状が出なくなったのと忙しさで病院に通うこともなくなりました。
今私は22歳になりました。
この年齢になると自分で病院に行くことが多く、新しい病院などでは、アトピー性皮膚炎だったことを伝えると、その先生には「あまり跡が残らなくてよかったね」など褒められることも多く、両親や当時の保育園の先生には今でも感謝しています。
今でも症状は出ることも少なくなりましたが、塗り薬ではネリゾナ軟膏、フルメタ軟膏、ヒルドイドソフト軟膏を使用しています。
仕事上、水を扱う仕事であったり、漂白剤を使った仕事もあるので手指などは症状が出やすいため、塗り薬は塗ることが多いです。
しかし、年齢とともに足指や両肘の内側、両膝の内側の症状はなくなりつつあります。
最近目立つ症状では、鼻炎になりやすくなったような気がします。
皮膚の炎症はからだ全体の痒みはなくならず、自分ではストレスや生活習慣の変化なのではないかと思っています。
学生の頃感じることが少なかったストレスを社会人になって感じることが多くなり、鼻炎や咳嗽は時々強めに症状が出ることもあります。
しかし、普段の生活習慣を気を付けていれば、生活に支障が出ることはないと考えています。
小さいころこそ、「なんで自分だけこんな目にあっているのか」「みんなとおんなじことができないじゃないか」と思ってこの症状を恨んだこともありましたが、今ではそんなに気にもしなくなりました。
普段の生活を送れていることが幸せなんだを感じさせてくれるいいきっかけになったと思っています。
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